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「本年は大人しくする」宣言からわずか1日。
何故か足の痛みと戦いながらボロボロの体で早朝の長良川を眺める男がそこにいた。
やはり男は、早くも走り出してしまったのだ。
1月2日の早朝。
男は起き抜けから唐突に思い立つ。
人生初の「フルマラソン42.195キロ」へ挑戦してみようと。
もちろん大会に出るわけではなく、一人で静かに走り出してそっと帰って来るロンリーマラソン。
誰からの声援もなく、そして誰一人感動させる事も無い新春ストイックタイム。
新年一発目のマゾり初めとしてこれ以上無い企画物だ。
しかしこれは男が導き出した「大人しくお正月を過ごす」為の深謀遠慮。
このロンリーマラソンによって、もう「山に行きたい」などという考えすら浮かばない程の肉体破壊を達成する事がこの企画の目的。
放浪病という不治の病に冒されている男にとって、このくらいの荒療治をしないと大人しく正月を過ごせるわけが無いのだ。
箱根駅伝級の涙のエンディングに向けて男は走り出した。
それではそんな彼の、フルマラソン初挑戦の模様を振り返って行こう。
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まだ真っ暗な早朝。
誰からも注目を浴びない「新春ロンリーマラソン」が静かにスタートした。

平和な新年の早朝の闇を一人のマゾが切り裂いて行く。
この先に待つものは栄光なのか、後悔なのか?
そもそもランニングの過去最長記録は25キロ。
どう考えても完走出来る気がしないが、挑戦する事に意味はある。
しかしこれは完走が目的ではなく、全身を破壊する事が目的のフルマゾソン。
記録や記憶よりも「気絶」こそが最も目指すべき最高到達地点だ。
そして、実にいい案配でスタートから調子が良くない。
たいがい走り出した時に「あ、今日は調子がいいぞ」と分かるもんだが、明らかに大晦日のヘビーな仕事の影響からか体が重い。
そして早くも足が痛かったりする。
こいつは春から縁起が良いぞ。
目指すは遥か先の岐阜城がそびえる金華山の麓の「信長像」。

以前25キロで大惨敗した時の長良川北上ルート。(
参考記事)
その時は「緊急の書状を岐阜城のお館様に届ける足軽役」という妄想テーマで頑張ったものだが、今回はお館様への新年の祝賀挨拶。
気の短いお館様だから、早く行かないと首を刎ねられてしまう。
しかし我が家に信長以上の気の短いお館様がいる僕としては、ここで首を刎ねられるわけにはいかないのだ。
やがて長良川越しに僕の本年の初日の出。

ううむ、美しい。
正直ランニングなんてやめて、カヌーで川を下って行きたい衝動に駆られる。
でもそんな浮ついた考えが出て来る余裕があるって事は、まだまだ肉体破壊が不十分な証拠だ。
今後大人しく育児に専念する為には、何も考えられなくなるまで心身を燃やし尽くす事が重要だ。
やがて走りやすく整備された道で一路信長像に向けて突っ走る。

しかし驚くべき事に、この時点ですでに足がとても痛くなってきてる。
正確には痛いというか突っ張ってるって感じ。
確実に普段のランニング時よりも調子が悪い事この上ない状態だ。
痛くて疾走出来ないが、早くも「後悔」という文字だけが頭の中を快適に疾走する。
これが日程が決まっているマラソン大会だったなら「調整失敗」といった場面だが、これは勝手に走り出した一人マラソン。
いくらでも自由になるんだから絶好調の時に挑戦すれば良かったものを、「新春」というタイトルが付けたかったばかりに無理をした皺寄せが今僕を襲っている。
それでも歯を食いしばって走り続ける。
古い町並みの川原町を駆け抜け、

やがて金華山の登山口が見えて来た。

ここで猛烈に「このまま登って行きたい」という衝動に駆られる。
足を痛めたフルマラソン中にも関わらず、なんともマゾな煩悩に支配された情けない感情。
こんな事ではまだまだ大人しく育児なんて出来ないぞ。
なんとか登山の誘惑を振り切って岐阜公園内に侵入。

お館様の場所まであと少し。
そして公園を出て信長公に無事拝謁。

グハグハ言いながら無事に新年の祝賀の挨拶をする事に成功。
この時点で17キロ地点。
心身が感じている達成感とは裏腹に、まだ半分の距離も走っていないという事実が重くのしかかる。
やはり少々無理があったか?
しかし無理とマゾは承知の上で始めたこのご乱心。
まだまだ走るぞ。
そして再び黙々と走り続ける肉体疲労男。
しかしここで思いがけない方面からの刺客が襲いかかる。
出る時は100%だったiPhoneの充電が、なんとこの時点で30%になってるではないか。
最近電池の減り方が尋常じゃなくなっている我がiPhone。
すっかり最近は充電が一日もたなくなっていたが、まさか2時間半でここまで減ってしまうなんて信じられない。
激安スーパーの夕方タイムセール並みにあっという間に70%オフだ。
このままではGPSの記録が取れない。
そんな事になれば、ただでさえロンリーなこの一人マラソン大会の不毛感がより一層激しくなってしまう。
そして同時に音楽も聴けなくなるから、今後20キロ以上が無音のストイックラン。
ゴールした頃には、恐らく悟りの一つでも開いてしまっているだろう。
電池式充電器を買わねばならない。
ここからは充電切れの恐怖を感じながら、コンビニを探すランニングタイムに突入。
川沿いの道から街まで走って行くと何とかコンビニを発見。
全身から湯気を出して足を引きづりながら、息の荒い汗だく男が店内へご入店。
平和な朝のコンビニ内に現れた新春変態男。
電池残量18%で、何とか電池式充電器と行動食を買う事に成功。

これでなんとかストイックな悟りを開く事態は免れた。
しかしここでの無駄な出費により、リタイヤした時に家まで交通機関で帰るために持って来たお金が底をついた。
これぞ己の甘さに打ち勝つ為の「背水の陣」。
もはやフルマラソンを走り抜いて完走する他に勝利の道は無い。
しかしそんな悲壮な覚悟に付随して、僕の足の痛みの悲壮感もみるみる上昇。
いよいよ一歩一歩の衝撃がマゾには堪らないビートで襲いかかる。
ヤンキーの車のウーハー並の痛みの重低音が、ドムドムと僕を疲弊させて行く。
ここで「本当に膝がヤバい時に登場するアイツ」が登場。
仙丈ヶ岳の下山の時に登場して以来の強烈なサポーターでがっしり固定。

何故ここまでして走らねばならんのか?
まるで引退間際の角番大関「霧島」のような悲壮感じゃないか。
自分の中のセコンドは必死でタオルを投入しているが、いかんせん帰りの電車賃は無い。
タオルは空しく再び場外に吐き出され、レフェリーは気付かない。
最悪前回25キロでリタイヤした時みたいにお義父さんに車で迎えに来てもらう事になる。
それだけはマスオとしては冒してはならないミス。
あの時は家族総出で迎えに来られて平謝りした苦い記憶がある。
そして嫁から「歩いて帰って来い」「お前が悪い」「自業自得だ」「周りに迷惑をかけるな」という罵声のマシンガン攻撃で蜂の巣になる大惨事だった。
絶対にそれだけは避けなくてはならない。
フルマラソン完走は無理だとしても、意地でも自力で家まで辿り着いてみせる。
しかし自己最長を越す26キロ地点から、右足の内側くるぶしの下あたりが猛烈に痛い。
何度も立ち止まってはストレッチを繰り返し、とにかく足を前に進めて行く。
顔を歪ませ、足を引きずりながらの根性ランニング。
これが24時間テレビのマラソンなら、その悲壮感は人々の涙を誘う名場面となっていたはずだ。
しかし残念ながらこれは勝手にやってるロンリーマラソン。
僕に向けて「負けないで」を歌ってくれる物好きは一人として見当たらない。
やがて30キロ地点を突破。
気持ち的には8回目くらいの「サライ」の合唱が終わったくらいの限界感。
もはや痛みで走る事は出来ず、歩く事が精一杯。
そしてついに31キロ地点で力尽きた。
無念にまみれてついに嫁に電話。
そして予想通りに「アホじゃないの?」「発想が小学生だわ」「己を知れ、この乳首野郎」などといった罵倒のわんこソバ攻撃に晒された。
フルマラソン失敗で失意にくれる旦那を慰める気はさらさら無いどころか、心の傷口にハバネロを塗り付けるようなこの仕打ち。
もうすっかり足の痛みなんて吹き飛ぶくらいの、新たなる心の痛みとのご対面。
このマラソン会場には給水所はなく、給S所だらけのマゾには嬉しいコース設定のようだ。
数十分後、お義父さんは出かけていたのでお義母さんが車で迎えに来た。
そして惨めに車内に収納されたボロボロのマゾ養子。
お義母さんは何も言わなかったが、恐らくとんだ養子をもらってしまったと思っていたのかもしれない。
家に帰ると、驚く程の無感情な嫁の氷の視線が出迎えてくれた。
壇上で一人ピエロのようにボケ続ける男と、もはやツッコミする事すら拒否した女の新春夫婦漫才。
このショーは喜劇なのか悲劇なのか?
こうして羞恥と屈辱にまみれて僕の挑戦は幕を閉じた。
結果的にフルマラソン完走は果たせなかったが、当初の予定通り「肉体と精神の完全破壊」を達成。
これでしばらくは動く事もままならないので、大人しく正月を過ごすことが出来るだろう。
こうして今日も男はその荒ぶる牙を研ぎ続ける。
来るべき育児時代突入に向けて。
ランニングの季節。
久しぶりにここらで「マジョガー生活」のカテゴリーでまとめておこう。
そしてさりげなく我々夫婦の愛の記録もお送りしておきたい。
僕がランニングをするようになってから1年以上が経つ。
元々はダイエットのために登山を始め、その登山で毎回膝を痛めていた僕が膝の耐久テストの為に何気なく走ってみたのが始まりだった。(参考記事:
壊れるのはどちらだ)
しかし、何故か途中で方向性を見失った男は突然「フルマラソンを完走したい」と宣言。
しかも大会に出るわけでもなく、ただ静かに一人で走り始めてフルマラソンを完走するという「ここにストイックは極まれり」といったプロジェクトが発動した。(参考記事:
方向を見失った男)
そして男は女性ランナーの「ビジョガー」に対抗し、走るマゾ野郎「マジョガー」としての生活をスタート。
順調にタイムと距離を伸ばして行ったが、最も僕を苦しめたのは乳首の問題。
そのあまりのツラさに神に鋼鉄の乳首を要求した事もあった。(参考記事:
悩ましい乳首事情)
そんな難関をくぐり抜けながらも、一向に体重が減らないという苦難の時期に突入。
そして男は「何があっても毎日走る」と宣言し、台風の日すら必死に走った。
そして35日間走り続けた結果、体重がまさかの1キロ増という絶望も味わう。(参考記事:
35日後のフリーフォール)
それと同時に一日も休まなかった事により、蓄積疲労がスペシャルな状態に達して常時スタミナ切れの状態をキープ。
そして連続ランニング63日目にそのまま槍ヶ岳のハード登山に突入。
出だしからガス欠状態で槍ヶ岳に突入して10時間を越えるロングマゾを味わう。
結果的に槍ヶ岳山頂で「毎日必ず走る」という信念が粉々に砕け散って記録は途絶えた。
それ以降猛反省した男。
今では週2〜3回を5キロか10キロ走るというスタイルになって、やっと落ち着いたランニング生活に突入した。
おかげでマジョガー生活開始当初に10キロを1時間20分で走っていたタイムが、最近では最高52分で走れるまでに成長した。
最長距離は前回記事でも書いたけど25キロ。
今後タイムでは10キロを45分、距離は30キロを目標としてマゾりたい。
で、なんだかんだとこうなって来るとやっぱり市民大会に出てみたい気もしてきたのね。
とりあえず1月か2月のどっかの10キロマラソン大会に参加してみて、可能なら来年5月の「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」の出場を目指してみようかな。
でもそんな事言いながらも5月はカヌーシーズンだから、普通に長良川を下ってる気がしなくもないけど。
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そんな中で、今週月曜日のランニング。
ちょうどその前日に、強烈に中途半端なランニングをしてしまった翌日だ。(前回記事参照)
前日の悔しさと物足りなさが残っていたし、雨も上がったので10キロラン開始。
でも雨が上がったと思いきや、逃げ場の無い5キロ地点で雨が降って来るといういつものパターン。
こうなるとマジョガーは悦びに包まれてペースアップ。
おかげで自己ベストに迫るタイムでゴール。
全力を出し切って大満足でストレッチしていたら、途中でポケットに入れていた大事な手袋を落としていた事が発覚。
結局走って来た道を再び手袋を探しながら逆走する延長戦に突入。
手袋は見つかったが、最終的にはトータルで15キロも走る羽目になってしまった。
ここで大きな問題に直面する。
そう、乳首問題だ。
過去の僕は走行中に乳首と服が擦れて6キロくらいで違和感が始まり、ゴールする頃には乳首は真っ赤になって切ない痛みに支配される日々だった。
しかし僕はこれまでの特訓により、10キロまでは乳首に異常をきたす事無く走れるようになっていた。
だから10キロ以上走る時は、必ず両乳首にオシャレな絆創膏を貼って挑むようにしていた。
でもこの日は予期せぬ延長戦のために絆創膏を貼っていない。
ゆえに15キロを走った僕の乳首は、もげるんじゃないかってくらいの痛手を負った。
あと2キロ手袋の発見場所が遠くだったら、間違いなくもげてリアルな「ポロリ」をしていたのではないだろうか?
とにかく僕は人より敏感で繊細な乳首の持ち主なのだ。
汗を流すべくシャワーを浴びる。
もちろん今シャワーの水が直で乳首を襲った日には、激しく染みて激痛にまみれる事になる。
僕は慎重に両手で両乳を鷲掴みにしてその痛みに対応しながらのシャワー。
なんだかんだ15キロ走ったから気分はよろしい。
さっきまで走りながら聴いていた、ミスチルの「LOVEはじめました」を自然と鼻歌気分で口ずさむ。
ここで僕は背後に気配を感じた。
振り返って、あまりの驚きで「ビクッ」とする僕。
なぜかその模様を、ずっと嫁が覗いていたではないか。
かつて愛した自分の旦那が、両乳を揉みしだきながら「LOVEはじめまーしたー、そいつで大きくなりまーしたー」と歌っているのである。
通常の女房なら「ついに夫が変態になった」と嘆き悲しむ局面。
しかし何かが彼女のサディスティックな琴線に触れたんだろうか?
嫁が今までに見た事の無いヨロコビの表情で大爆笑しているではないか。
出会いから6年以上経つが、あんなに喜んでる嫁の表情を初めて見た。
高価な指輪を買わされた時もこんなに喜んでなかったぞ。
僕がビックリして慌てふためいていた事で、より彼女のドS心を満足させたんだろう。
そのあまりの大爆笑っぷりに、勢いで出産しちゃうんじゃないかと心配になったほどだ。
昨晩はお義母さんに僕のリトルマーメイドが目撃され、今日は嫁に「HENTAIはじめました」を目撃された。
もう僕には失うものは何も無い。
良い親孝行と嫁孝行が出来たと割り切るしか無い。
不器用な我々夫婦には、この様な形でしかお互いの愛を感じられないのだ。
こうして今日も男は走り続ける。
男は空を見上げて来るべきマラソン大会を逞しく見据えている。
心と乳首をヒリヒリさせながら。

必死で秀吉に手を差し伸べる男がいる。
その手はまるで助けを求めてもがいているような印象だ。
男は秀吉に問う。
なぜなんだと。
実はその男には密かに続けている事があった。
週末の登山やカヌーで大規模なマゾを満喫する一方で、地味に毎日コツコツとやっている事が。
ここらでそんな彼のデイリーマゾな姿を記録しておこう。
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去年から続けているストイックなプロジェクト「燃やせ!脂肪肝」。
体重83キロから始まったこのプロジェクトは、脂肪肝を消滅させて65キロまで痩せる事が目的のもの。
一時はこのブログがただのダイエット日記になりつつある程、実にストイックに頑張った日々だった。
そして調子良く70キロまで痩せたものの、そこからピタリと体重の変動が無くなった。
そして長い長い停滞期が続き、70〜74キロの間をうろつき、全く体重が減らないという苦しい日々が続いている。
それでも体脂肪率はしっかり落ちているから筋肉がついたって事なんだろうが、肝心のお腹とおっぱいが昔のままだ。
じゃあ筋肉はと言うと、なぜか両足のふくらはぎだけに強烈な筋肉がついていくというよく分からない事になっている。
結果、下半身ムキムキの上半身ぷよぷよという人間離れした姿の男が誕生してしまった。
もう局地的な筋肉はいいから、この腹とおっぱいをどうにかしたいんだ。
もちろんストイックな食事制限も続けてるし、時にがっつり走り、筋トレ、そして登山などハードな日々を過ごしている。
しかしそれでも減らないから、精神的に非常にキツいものがあった。
そんな「中畑ベイスターズ」ばりの暗いトンネルが続き、なんとかこの悪い流れを強行突破しなくてはならないと一念発起。
それは突然自分に課した「毎日必ず走れ」という命令だった。
例え雨が降ろうが、仕事や育児が忙しかろうが、登山の後だろうが、とにかく何があっても「毎日走る」と決めた。
基本的に僕は飽き性で、根性もない。
だから中途半端に休んだりすれば、そのままズルズルと走らなくなる事が目に見えているから例え最悪1キロでも良いから毎日走るんだ。
もちろん、平日の夜の僕には育児で走ってる時間なんてない。
早朝早起きして無理矢理時間を作っての厳しいランニング。
これは100の60という低血圧野郎にとっては過酷すぎる条件だ。
それでもなんとか起きて毎日5キロは走るようにした。
家から走っていくと丁度冒頭の秀吉像がある墨俣城が2.5キロの折り返しポイント。

橋の先にある秀吉にタッチして家に帰っていくコース。
毎日タッチしてるからご利益ですごく出世しそうだ。
でも出世なんて興味ないから、なんとかこの腹とおっぱいをどうにかしておくれ。
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そして男は台風の中で走ったり、焼肉屋から家まで吐きそうになりながらランニング直帰したり、会社帰りにトレイルランニングで山に登ったりと壮絶な日もあった。
朝起きれなかった時は、会社の昼休みに5キロ走って汗だくのまま打ち合わせに行った時もあった。
そんなこんなで今日で連続ランニングの記録が35日目となった。
ここまで続けて来た自分を褒めてやりたい。
タイムも5キロを23分で走れるまでに成長した。
今ではランニング後に縄跳びと筋トレも組み入れている。
週2回、接骨院で鍼を打ってもらいながらの根性ランニングだ。
35日も毎日走れば一体どれほど体重が落ちた事だろうか?
頑張った僕に対する神の返答やいかに?
男は軽く息を吐き体重計に乗った。
1キロ増えてる...。
襲いかかる空虚感。
そのままその場に倒れ込む力石徹。
僕のあのハードな日々は一体なんだったのだ。
秀吉さんよ。
もう僕はどうしたらいいのか分からない。
益々太くなっていくふくらはぎと、減っていかないぷよぷよの腹とおっぱいをどうしたらいい?
おかしいな。
目から水が溢れてる。
どうしちゃったんだろう。
助けてくれ。
このフリーフォール並みに落下したモチベーションをこれ以上持続できる自信がない。
そう言えば、走り終えた後にりんたろくんに聞かれた事がある。
「おとうさんはなんで走るの?」と言うから「お父さんはね、お腹とおっぱいが出ているからだよ。」と答えたら「正解!」って言われた。
そして「おとうさんだけ、おとうさんだけ」って言うから「何がお父さんだけなの?」って聞いたら「ザンネン!」って言われた。
確かにお父さんはザンネンな男だったようだ。
でもこうなったら意地で100日でも200日でも走り続けてやる。
そしてドムのようなふくらはぎを手に入れるんだ。
そして来年あたりに「ムキプヨ人間」として奇人ショーへの出場を目指すんだ。
男は新たな目標に向けて動き出した。
脂肪肝消滅への道は長く険しい。
今回はちょっとテスト投稿です。
前回記事(
遭難野郎の道先案内人)で登場した「離婚への爆発スイッチ」ことeTrex20。
遭難野郎の僕の命に関わる重要なアイテムなので、今必死で勉強中。
まずは早速ログを取ってみて、その軌跡をブログにアップ出来るかのテストです。
会社の昼休みにeTrexを持って、周辺をぐるりと徘徊。
で、取れたログがこんな感じ。
より大きな地図で 会社周りテスト を表示実はここに至るまで随分時間がかかってしまったが、何とか貼付け成功。
結局最終的にはGoogleマップのマイマップを使用した。
なんせ街中の地図なんで味気ない。
街中のログなんて、正直iPhoneのランニングアプリで十分なんだけどこれはテスト。
登山のログなら、「地形」の状態で見れば結構良い感じで表示されるんじゃないかな。
本当はウェイポイント(登録したポイント)が表示されればベストなんだけどやり方が分からない。
それが表示出来れば、「ここがカヌースタート適地」とか「ここで心が折れました」とか「ここでケツから出血しました」などの記録が残せるんだけどなあ。
(追記:なんか出来そうです)
ヤマレコみたいな事が出来たら一番良いんだけど。
まだまだ勉強です。
で、調子に乗って家に帰ってからランニングしてみる。
より大きな地図で 長良川10k を表示調子に乗って、自己ベストを更新しようとして無理をした。
その結果、僕の体に「左足ふくらはぎの肉離れ」「左足親指付け根の激痛」「右足膝の激痛」というログが残された。
さすがにその記録はGoogleマップでは表記されなかったようだ。
どうしようかな。
すごく各々の箇所が痛い。
何やってんだ、僕は。
結局ちょっとしたGPSテストですら、己の体を痛めつける結果になってしまった。
伊吹山登山以降、溜まった体の疲れを癒す休養期間だったはずなのに。
これで、ますますeTrex20を本格使用する機会を先延ばしにしてしまったよ。
ひょっとしたら、いつまで経っても街中のログしか取れないなんて事になりかねないぞ。
まだまだ問題は山積みだけど、ここは再びちゃんと休養しよう。
ちょっとGWまでは、大人しくしておりますね。
週末は、どうにも中途半端な天気予報だった。
風も強いし、晴れ間も少なそうだ。
まあどっちにしても、今週もお留守番で子供の世話を命じられていたから何も出来ないんだけど。
でもどっちみちジッと出来ないんだから、何かしなくてはいけない。
土曜日は「3.11」って事もあったから、僕は唐突に親孝行がしたくなった。
何となくそんな気持ちになったんですよ。
お義母さんは、いつもりんたろくんの世話をしてくれている。
たまにはのんびりと自分のやりたい事をしてもらいたい。
そして僕の実母にも、普段中々帰らないから孫の顔を見せに行ってあげよう。
いつも日帰りだから、ゆっくりと一泊して。
ということで土曜日の朝、僕とりんたろくんの二人で急遽実家に向かった。
嫁には言ってないけど、まあ許してくれるだろう。
嫁は仕事だから、初めて息子と二人だけでの帰省。
嫁もいないし、養子の重圧も無いから、これでもかってくらい僕の羽をピンッピンに伸ばすのだ。
親孝行という名の、ただの羽伸ばしな週末のお話です。
たわいもない事がダラダラ書いてあるだけなんで、まあ軽い感じでどうぞ。
その割には、二回に分けてお送りいたします。
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実家に向かう高速道路。
予想通り、りんたろくんがチャイルドシートで大人しくしているはずもない。
もがいて騒ぎ出すジッと出来ない息子。
その気持ちがわかるだけに、なんとかしてやりたい。
SAで、何かアニメのDVDでも買ってやることにした。
そしてそこには、僕も大好きなトムとジェリーのDVDがあった。
なんと4枚組で32話収録で、POPには500円と書いてある。お得だ。
別の高価な列車のDVDを欲しがるりんたろくんに、「お前ジェリー大好きだよな?」と洗脳して行く。
りんたろくんも見事に「ジェリー、すき」と言い出したのでレジへ。
するとレジの野郎が「1000円です」って言うではないか。
どうやら、このDVDだけ誰かが500円コーナーに入れてしまったようだ。
もったいないからやめようと思ったけど、すっかりジェリーに対して目をキラキラさせる男が横にいる。
自分で洗脳しておきながら、渋々1000円の出費。

でもやっぱり面白いトムとジェリー。
今見ると、サイレントなのにここまで楽しませてくれるとても秀逸な作品だ。
音楽との連携も素晴らしい。
しかし肝心のりんたろくんが楽しんでいない模様だ。
トムとジェリーを再生しているにも拘らず、「ジェリー見して、ジェリー見して!」と叫んでいる。
彼にとってのジェリーとは何者なのか?
なんとか高速を降りる。
まずは一路、僕が結婚するまで勤めていた会社に顔を出しに行った。
静かだった社内を、りんたろくんが狂ったように叫びながら走り回る。
繁忙期で大変そうだった社内を、結局荒らしただけの訪問になってしまった。
挨拶もそこそこに、実家に帰って昼メシ。
やはり実家は落ち着くものだ。
この時、僕は台所にいる母さんに「ちょっとコップ持って来て」と言ってハッとした。
普段、マスオの立場の僕は「ちょっとコップ持って来て」なんて言葉すら気兼ねして言った事が無い。
言う前に「今このタイミングで気を悪くしないだろうか?」「調子づきやがってとか思われないだろうか?」「敬語にするべきか、フランクに言うべきか?」とか色々考えた挙げ句、結局自分で取りに行くパターンが多い。
同居養子の悲しさよ。
そして、実家とはなんという落ち着く場所なんだ。
いつもはランニングに行く時も、「じゃあ、りんたろお願いします」と言ってご両親にお願いをして出て行く。
基本的にご両親に何かをお願いする事は、養子の身としては心苦しいのだ。
でもここは実家。ふっとわがままを言いたくなった。
「ちょっと走って来るで、あと頼むわ。」って言ってやった。
ノンストレス。
これだけの事がなんだか嬉しい。
そんな僕がちょっと悲しい。
母さんとりんたろくんが公園に遊びに行ったからランニング開始。
しかし忘れ物好きの僕は、肝心のランニングシューズを忘れて来ていた。
結局すごく重い登山靴で走った。
数十年ぶりに、もっこり山の神社を目指した。

このこんもりした小さな山には神社があって、子供の頃よく相撲大会が行なわれた場所だ。
でも相撲よりも、別の思い出の方が色濃く思い出される。
小学生の頃、この山の中腹に「秘密基地」があった。
そこは僕らの中で「聖地」と呼ばれた神聖な場所。
その基地の中には、みんなが各地で拾って来た「聖書」と呼ばれるエロ本が沢山あった。
誰かが新作を拾って来ると、決まってこの聖地に集合した。
風雨にさらされ、パリパリになった聖書はページをめくるのも大変だった。
当時の「隠し部分」の処理は、海苔のように豪快な黒塗り潰し。
その海苔の先の世界がどうなっているのかという冒険心が止まらない。
その聖書を眺めていても、子供の僕らにはその悶々とした思いを処理する術が分からずにもがき苦しんだものだ。
そんな迷える子羊達を救う救世主は、数年後の桜木ルイの登場まで待たなくてはならない。
そんな事を思い出しながら、ランニングは続く。
このまま走って、地元の友達に会いに行って驚かせに行ってやろう。
はるばる30分ほど走って行ったら、友達は留守でした。
めげずに別の友達の所を目指す。
向かった先は愛知県で最も古いお寺の「真福寺」。

実はここの住職の息子とは同級生で、やんちゃだった彼も大人なしくここで坊主をしている。
しかし驚かす為に会いに行くと言っても、この参道をひたすら登って行かねばならない。

確実に「会いに行く友達のチョイスを失敗した」感が否めない。
ちょっとランニングのつもりが、結局いつもどおりのハードプレイと化した。
延々とダッシュで駆け上がって行く。
瞬く間に腿がパンプアップし、口の中に胃酸がこみ上げる。
何故か「歩いちゃダメだ」というセルフマゾルールが設定され、死にそうになりながら駆け上がる。
これも全て、ふいに顔を出して友達を驚かせる為だ。
そもそもそこまでしてそんな事をする意味が、自分でもよく分からない。
やがて最後の難関。
もの凄い斜度の階段が登場だ。

この段階で、さすがに歩いた。
腿がプルプルして、まともに走れなかったからだ。
登山級のしんどさだ。
ある意味、登山靴を履いて来て良かったようだ。
グハグハ言いながら、完登。
さあ、奴を驚かしに行くぞ。
中にいる友達に会いに行った。
友達は留守だった。
結果的に、一番驚いたのは自分自身でした。
こういう自分の間抜けな姿には今更驚きはしないけど。
こうして僕は、元来た階段地獄を下って行った。
もちろん、この下りで膝を痛めたのは言うまでもない。
せっかくなんで、懐かしい僕の母校の中学校に寄ってみた。

この場所に立って、当時に思いを馳せる。
奇しくもこれから卒業シーズン。
卒業の時、この場所で好きだった子に「第二ボタン頂戴」って言われて天にも昇る気持ちだった。
恐らく義理だったような気もするが、どっぷりとイケテナイ中学生だった僕には革命的な出来事だった。
今でもこの風習って残ってんのかな?
その後、男子校に進学した僕はずっとその子を想い続けていた。
いつまでたっても告白出来ないトゥーシャイシャイボーイ。
結局電話で告白したのは3年後。
当時は黒電話で「ジーコ、ジーコ」と回すダイヤル式。
携帯なんて無いから、その子の「家」に直接電話。
見事にお父さんにヒット。
全身から汗を噴き出しながら、娘さんに代わってもらう。
僕の人生で、この時ほど緊張したことはない。
完全にテンパっていた僕は「ずっと好きでした!」と叫び、その後の数秒間の沈黙に耐えきれず「ゴメンナサイ!」と自ら叫んで、自分から電話を切ってしまった。
相手からしたら、全くわけのわからない迷惑電話。
我ながら、言ってる意味が分からない。
甘く切ない青春のおもひで。
あの子は今どうしているかな?
僕は立派なマゾ野郎になったよ。
そんな事を思い出しながら、再び走り出して帰って行った。
家に着いた頃、嫁から怒りの電話がかかって来た。
僕は知らなかったんだが、どうやらりんたろくんがもう5日もウンコをしていなかったらしく、そんな彼を僕が連れ回して実家まで連れて行ってしまった事に怒っているようだ。
良い事をしているつもりだったけど、どうにもタイミングが悪かった。
ここから急遽「りんたろくん脱糞プロジェクト」が発動。
何も知らずに無邪気に遊ぶりんたろくん。

僕と母さんの魔の手が、ついにりんたろくんの肛門に忍び寄る。
数分後、彼はショッカーのような苦痛にまみれる事になる。
ーーつづくーー